出演者からのメッセージ

曽根麻矢子さん、渡邊順生さん、鈴木優人さんより、J.S.バッハをテーマにしたメッセージを寄せていただきました!
メッセージは今後も届く予定、乞うご期待!

この手は誰と握手したいか?
曽根麻矢子

小学校の文集に、自分の手形、そして握手したい人の名前が書いてあります。そこにあるのは「ヨハン・セバスチャン・バッハ」という11歳の私の字です。小学生の頃からバッハが好きだったことを物語ってくれる文集。あれから40年、少し浮気していた期間もあるかもしれないけれど、嫌いになることは決してない、人生に寄り添う大切な存在。バッハ先生の音楽は基本的にはいつも私の人生と共にあるのです。その音楽は時々目の前に壁を作ってくれたりして、悩ましい時を過ごすこともありました。バッハが好きで好きでたまらない!と夢中になっていた高校1年生の頃、私の前に現れた壁は、「バッハをピアノで弾くって???」という疑問符でした。

チェンバロを副科で始めた高校2年からは、「ピアノでバッハを弾くのは耐えられない!」と拒絶反応を持ちながらも、レッスンや試験で弾かねばならず、とてもとても苦しい(チェンバロ弾くのは楽しい)時代でした。

その頃私のバッハ先生への愛は、チェンバロへの愛に変化したので、逆にバッハ熱が少しクールダウンしました。

本当の闘いはピアノ科を卒業して、「さあ、今日からピアノとはさようなら!」と、チェンバロだけ弾いて暮らせる幸せを噛み締め始めてからです。

バッハをチェンバロで弾くのは難しいのです‼

なかなか素敵に弾けない。自分の演奏が何か面白みに欠けているような気がするけど、何をどうすれば変われるのかわからない。そうもがいていた時期もありました。

バッハは私に様々な課題と挑戦を与えてくれます。

その機会が最初に訪れたのは、パリに暮らし始めた26歳の頃でした。ある音楽祭のプロデューサーからゴルトベルク変奏曲の演奏を依頼されたのです。その日まで私はゴルトベルク変奏曲の楽譜を譜面台に乗せたことさえなかったのですから、さあ大変!でもあの頃は練習を楽しんでいる日々でした。

二度目の挑戦は、2000年頃のこと。浜離宮朝日ホールより「リサイタルでバッハのシリーズを!」という、夢のようなお話でした。

さあて、その次なる機会がここにあります。7月1日のリサイタルの平均律第2巻は、なんとなんと、初体験なのです! 

今から20年ほど前、パリで私はこの曲集を手がけようとした時がありました。しかし、自分にとって最も重要な「この曲、好き!」という気持ちが湧いてきませんでした。又数年後に…と思って放置していた曲集を再び見直した今から10年程前も、僅か数曲を除き、ときめく心を持てずに閉じました。「チェンバロを弾く喜びを感じさせる楽曲度数」というポイントが、自分にとっては足らないと感じたからです。

ところが、50歳も超えた頃、初めて感じられるその魅力!(自分で言うのも何ですが、成長が遅いというか、遅咲きというか…)それは、チェンバロの世界を超越しています。理解し難いその異様な転調や、音の動きの世界に引き込まれてしまいました。人生、無駄に長生きしているわけではないな…と深みにはまっているところです。残り3ヶ月間、濃厚にこの曲と向き合う時間が持てることに喜びと感謝を感じる日々です。

バッハのチェンバロ協奏曲
渡邊順生

私の長年にわたる演奏活動の中でも、バッハの作品は特別大きなエネルギーを注いで来ました。私が留学先のオランダから帰国して、チェンバロ音楽のコンサート・シリーズを始めたのは、1981年でしたから、今から35年も前のことです。このシリーズでは、チェンバロの独奏曲のみならず、チェンバロのオブリガートを伴う室内楽や、チェンバロを独奏楽器に据えた協奏曲など、幅広い作品を取り上げようと思っていましたが、その中の眼目の一つがバッハのチェンバロ協奏曲でした。当時、日本の古楽器演奏はまだ緒についたばかりで、たとえ各パート1本ずつでも、協奏曲のためのオーケストラを集めるには、今日では想像も出来ないほどの苦労がありました。ですから、バッハのチェンバロ協奏曲を全曲取り上げようというのは、当時としては極めて大きな冒険だったのです。

その後、バッハのチェンバロ協奏曲は、いろいろな機会に何度も取り上げましたが、そのたびに、初めての時と同じような興奮を覚えます。チェンバロ協奏曲は、バッハの全作品の中でも特異な地位を占めています。それは、これらの協奏曲が、全て、それ以前に書いた協奏曲の編曲だということです。そのために、バッハのチェンバロ協奏曲を、他の楽器のための協奏曲よりも低く評価する人は古今、跡を絶ちませんが、曲の価値、という点で見るとそれは全く逆なのです。というのは、バッハは、一度世に出した作曲素材を、編曲という作業を通じて、さらに深く掘り下げ、さらに豊かなものに育て、さらに完全なものに育て上げようとしたのです。また、そうした作業を通じて、チェンバロという楽器の表現領域を広げ、その可能性を最大限に追求したのでした。特に、1台のチェンバロのための協奏曲第1番ニ短調と第2番ホ長調の2曲は、バッハが教会カンターでもオブリガート・オルガンのために編曲するという、非常に手の込んだ編曲のプロセスを経た作品です。また、幾つかの協奏曲は、もともと複数の協奏曲の楽章を集めて再構成されています。今回、これらの協奏曲を2日間で全て聴いて頂くというのは素晴らしい企画で、バッハの多彩な音響世界を十二分に楽しんで頂けるに違いありません。

アットホームなコンサート
鈴木優人

今回は、曽根麻矢子さんのお招きにより素晴らしい方々と共演させて頂けることを大変光栄に思っております。今回のテーマとなっているチェンバロ協奏曲は、どれもバッハが子供たちや弟子たちと家庭で楽しんだ作品に違いありません。そういったアットホームな雰囲気をお客様にも味わっていただけるよう準備したいと思います。

私のリサイタルでは、そのような「バッハの家庭」というのを一つ念頭に置きながらプログラムしました。父の影響を強く受け、おそらく彼の作曲もたくさん手伝いながら、独自の音楽のスタイルを作り上げ、のちには「正しいクラヴィーア演奏法試論」という最も影響力のある理論書を残した次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの素晴らしいソナタを二つ演奏します。

お父さんの方からは、「クラヴィーア練習曲集」として生前に珍しく出版された作品集の第1巻と第2巻からそれぞれ一曲ずつ取り上げます。第1巻からは「パルティータ第2番」、そして第2巻からは、今回オーケストラつきのチェンバロ協奏曲が全て演奏されるのに合わせて、かの有名な「イタリア協奏曲」を取り上げます。実はバッハは独奏のためにも「協奏曲」と名付けられた作品をいくつか残しているのですね。

そしてバッハ・コレギウム・ジャパンの首席奏者にして、いうまでもなく世界最高のオーボエ奏者の三宮正満氏をお呼びして、親子の作品を一つずつご紹介できるのも、大変楽しみです。

チェンバロは家庭で楽しむ楽器ですので、浜離宮朝日ホールならではの舞台と一体となったような距離感の中で、あたかもバッハ家にタイムスリップしたかのようにお楽しみいただければ幸いです。